2023-04-07

三井住友銀行頭取・福留朗裕の「現場主義」経営 「用心しながらも楽観を忘れない」

福留朗裕・三井住友銀行頭取




トヨタ自動車で目にしたものとは?

 金融、銀行は時代の変化とともに姿かたちを変えている。福留氏は銀行の将来像をどう見据えているのか。

「『銀行』という言葉はなくなっているかもしれない。今は銀行法など規制の中でできないことも多いが、徐々に垣根がなくなっていくと思っている。将来的には、金融を軸に自ら事業を手掛ける『金融が得意な事業会社』になっていくのではないか」

 福留氏は1963年1月岐阜県生まれ。85年一橋大学経済学部卒業後、三井銀行(現三井住友銀行)入行。大学ではラグビーやボクシングをやることも考えたがアイスホッケーを選び、4年間打ち込んだ。みずほフィナンシャルグループ社長の木原正裕氏は後輩で、1年間共にプレーをした間柄。

 銀行を志望したのは、「多くの人とつながりを持ち、様々な業界にコンタクトできる銀行に入れば、自分の選択肢が広がるのではないかと考えた」から。SMBCで旧三井銀行出身者が頭取に就くのは初めてのこと。

 入行後は、市場部門で為替ディーラーとしてキャリアをスタートし、前述の通り国際畑を中心に歩んだ。97年から始まった「アジア通貨危機」、08年からの「リーマン・ショック」には最前線で対応。「世の中が短期間で悪くなっていく瞬間を目の当たりにした。その時に現場にいたことでわかる〝肌感覚〟があることで、今のような不透明な時にも感度高く反応できるのではないかと思う」

 リーマン・ショックの後にはリストラの実行も経験。特に一緒に危機を乗り越えた「仲間」をリストラした経験は「トラウマになっている」と振り返る。「その経験があるからこそ、普段から部下との関係をより一層大事にするようになった。これは私のマネジメントの根底にある」

 さらに福留氏は18年に頭取(現会長)の髙島誠氏から指命されて、トヨタ自動車本体の常務役員、グループで金融事業を手掛けるトヨタファイナンシャルサービス(TFS)社長に就任、銀行を退職した経験を持つ。一度銀行を退職した人物が頭取に就くのも初めてのことだ。「違うカルチャーを経験している。外の文化にどっぷり浸かってきた。日本を牽引する産業、しかも銀行のお客様サイドにいたということも貴重な経験」

 福留氏はトヨタ時代を「何事にも代えがたい経験」と振り返る。入社後、トヨタ社長(現会長)の豊田章男氏との面談で直接ミッションを伝えられた。

 その時に言われたのが「金融だからといって金融だけ見ないで、現地を全て見てきて欲しい。販売店、工場を全て見て、トヨタがどういうオペレーションをしているか、全て現地・現物で見てきて欲しい」ということ。福留氏はそれを愚直に実行し、40カ国の拠点を回った。

「『生産台数1000万台』と一言で言われるが、グローバルで人の命を預かる自動車を作ることの凄み、現場のこだわりを見ることができた」

 さらにグローバル企業のカジ取りをする豊田氏の経営にも間近で触れた。「トヨタという巨大組織を、トップが悩みながら変革させようとしている姿を目の当たりにしたのは貴重な経験」

 トヨタでは、国内初の自動車サブスクリプションサービス『KINTO』を立ち上げた他、販売金融の強化に尽力。

 そうした経験を基に福留氏は「銀行自身も変わっていかなければいけない。変化のスピードを変えていくことが大事」と行内に訴える。

「私がSMBCで好きなカルチャーは『現場主義』。現場しか知らない私が頭取になったことで、この現場が大事だということを、もう一度強調していく」

 再び世界が危機の時代に陥りかねない今、かつての危機を知り、トヨタで「他流試合」を経験した福留氏の力量が問われる局面である。

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