2023-12-31

公益財団法人結核予防会(前・新型コロナウイルス感染症対策分科会会長)・尾身茂理事長「パンデミックで問題を単純化してはいけない。複雑性に耐えられる対策法を!」

尾身茂・公益財団法人結核予防会理事長(前・新型コロナウイルス感染症対策分科会会長)

「平時から危機時の在り方を議論し、方向性を示しておかなければならない」─。政府・新型コロナウイルス感染症対策分科会会長として専門家の視点で提言を続けてきた尾身茂氏はこう強調。危機時における政府と専門家の役割分担はどうあるべきか。メディアの国民に対する発信の在り方とは未知のウイルスとどう対峙していくべきか。それは今後の危機管理の在り方を考えることにもつながる。

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コロナ分科会の1100日

 ─ 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長を務めた約1100日の総括とは。

 尾身 評価は単純ではありません。そもそも我々の役割は感染者をゼロにするというよりは死亡者をとにかく減らすことが最終目標でした。死亡者を減らせば医療逼迫を防ぐことができたかもしれませんが、感染をゼロにすることはできません。

 ある程度を抑えて死亡者数を他のOECD(経済協力開発機構)諸国よりも少なくすると。同時に、経済や社会のネガティブなインパクトもできるだけ最小化にしたい。これを我々は当初から言っていました。

 実際、日本の死亡者は欧米先進諸国と比べたらかなり低く抑えられたことは1つのファクトです。そしてもう1つのファクトは経済や社会の影響がどうだったか。経済学者の世界的なコンセンサスでは、日本のGDP(国内総生産)の落ち込みは3年間の平均で欧米先進諸国並みでした。ですから、全体としては欧米諸国よりは、うまくいったと言えるかもしれません。

 ─ それはファクトでの比較をしたときの評価ですね。

 尾身 ええ。しかし、だからといって課題がなかったかといえばそうではありません。死亡者を減らすということで、多くの市民や事業者がかなり苦労したと思います。その意味では、もう少しデジタル環境などが整備されていたら市民生活への負担は少なくて済んだかもしれません。そういう意味での課題は間違いなくあったと思います。

 ─ その中で医療人に対する誹謗中傷もあったと聞いています。どう励ましましたか。

 尾身 当初は医療関係者への感謝と称賛はありました。医療関係者も3年間、基本的には生活者と同じようなストレス下で、同じように院内感染を防ぎながら人々の命を救っていました。ところが、途中から世間の評価が変わってきました。医療逼迫が起こるのは医療関係者が頑張っていないからだという論調が出てきてしまったのです。

 医療逼迫が起きたのには理由があります。特に制度的な面が大きい。そもそも日本はパンデミックという急性期の患者が激増すること想定した医療態勢ではなかったということです。世界でも最も高齢化が進んだ社会に対応するために、急性期の医療から徐々に高齢者の医療、リハビリや介護に重点を置いた医療態勢をとっていました。

 ですから、いつ来るか分からないパンデミックに備えてベッドを空けておくことなど日本の医療ではできなかったわけです。現実として、それでは医療経営は成り立ちません。ベッドを埋めておかないと、診療報酬がしっかり上がらないシステムになっていたわけです。


「分断」を避けるための「決断」

 ─ 人手不足が問題です。

 尾身 人口当たりの看護師や医師の数については、日本が欧米に比べて少ないことは事実です。ただ、医療逼迫が続き、思ったように治療や診察が受けられなくなると不満が蓄積し、そのはけ口が医療関係者に向かってしまった。そういった動きが一部であったと思います。

 もちろん、医療界が100%完璧だったかというと、そうではないと。医師の中にも自分が感染するのは怖いという理由で患者を診なかったという動きもあったと聞いています。ただ、その一部を切り取って医療関係者全体を評価することには違和感があります。多くの医療関係者は頑張ったのです。世の中から少し単純化した世評や世論が出てきたのは少し残念でした。

 ─ そこは情報を伝えるメディアや受け取り側の国民の問題になってきますね。一方で、「密閉」「密集」「密接」の三密を回避することを分科会は提言しましたが、国民の理解は割と進んでいたように思いますが。

 尾身 今回の未知なる感染症に対する対応策について、専門家が前面に出ざるを得なかったのは間違いありません。政府もそれを期待したと思います。ただ、改善の余地は残りました。

 三密回避は人々の生活への介入です。しかし我々の仕事は感染リスクを低くするためには、どんな行動がふさわしいのかを政府や市民に提言することでした。ところが徐々に「介入はけしからん」という声も出てきました。そこで我々も後半の社会経済を元に戻す時期になると「国が市民に選ばせるようにしてください」と内容を変えました。しかし、あまりそれが共有されていませんでした。

 ─ 危機は起き得ます。危機感の共有が求められますね。

 尾身 そうですね。日本のような自由社会では、いろいろな人が自由に発言し、自由に行動できます、それを皆が享受しています。しかし危機時においては、できるだけ早く乗り越えたいと皆が思うはずです。では、ウイルスというしたたかな相手と、どう対峙していくか。

 そのためには、どのように対処するべきかといった大まかな一定の方向性を決めておく必要があります。皆がバラバラの方向を向いたら決してうまくいきません。個人の自由は尊重すべきだけれども、ある程度、やるべき対策や感染リスクを少なくする行動を共通の理解として認識しておく必要があります。

 ─ 平時から国民の共有論議として持っていくべきです。

 尾身 はい。パンデミックの時期が長期化すると、分断がどうしても起こりやすいというのは歴史が証明しています。最初は同じ方向性を向いているのですが、不自由な生活を長く強いられると不満が蓄積します。

 そうすると人間は誰でも不満を何とか解消しようとする。結局は同じ価値観や立場の人と情報交換する傾向が強くなっていくのです。そうすると、ちょっとした差がどんどん強化され、分断が起きてしまう。分断が起きると批判が始まるのです。

 こういったことを防ぐためにはどうすべきか。一般市民を含めてこの機会にもう一度考え直すことが必要です。今のうちにしっかり検証することが大事になってくると思います。

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