2022-08-14

【私の帝国ホテル史】帝国ホテル・小林哲也元社長の「入社最初の仕事はトイレ掃除。お客様からの感謝の言葉に奮い立ちました」



スペイン国王夫妻をお招きして

 一方のわたしの方は役得一切なし。それでも救いとなったのは、お客様からの声でした。あるときパブリック・スペースのトイレを掃除していると、お客様が声をかけてくださった。「大変なお仕事ですね。でも、皆さんが綺麗にしてくれるから、我々は気持ちよく使わせてもらっています」と。

 男性のお客様だったのですが、この言葉を聞いてわたしは奮い立つぐらい嬉しかった。「ああ、こういう仕事を評価してくださるお客様がいらっしゃるんだ」と。この言葉がわたしのモチベーションをバンッと上げてくれました。忘れられないエピソードになりました。

 わたしは縁のある出会いを意味する「セレンディピティ」という言葉を大事にしているのですが、このお客様の存在がなければ今のわたしはなかったでしょう。そもそもわたしが帝国ホテルに入社したのも「人が好き」だったから。世の中には人間しかいないのですからね。

 福沢諭吉も『学問のすゝめ』の中の「文明之概略」でこんな言葉を使っています。それが「人間交際、すなわち学問なり」。要は明治時代を迎えて身分制度がなくなるまで、武士や商人の間に真の交流などありませんでした。しかし、明治維新が発足すると、福沢諭吉は士農工商それぞれが交流することが大事であり、人が交流し続けることによって文明が構築されていくと説いているのです。

 交流――。わたしが53年にわたる帝国ホテルでのホテルマン人生を過ごしてきた中で、様々な世界のVIPをお迎えしてきましたが、最も感動したのがスペインのファン・カルロス1世国王をお迎えしたときです。

 わたしが2004年に社長に就任し、08年にカルロス国王が国賓として日本にお見えになりました。その宿泊場所として帝国ホテルがお迎えすることになっていました。国王がいらっしゃる1週間ほど前、ある外交官の方と昼食をとりました。

「今度、ファン・カルロス1世国王がお見えになりますが、お泊りは帝国ホテルですよね?」

「はい、その通りです」

「小林さん、ファン・カルロス1世国王は以前、新婚旅行で帝国ホテルにお泊まりになったことがありますよ」

「えっ、本当ですか?」

「小林さんに嘘を教えたら申し訳ありませんから、念のため一度オフィスに戻って確認してから、もう1回お電話します」

 後日、その外交官の方から電話が入りました。

「小林さん、間違いありません」

 驚きました。調べてみると、ファン・カルロス国王が新婚旅行で訪れたのは46年前の1962年。当時、ギリシャ王女であったソフィア王妃とご結婚され、アテネでの結婚式を挙げた後、そのまま世界歴訪の新婚旅行に出かけられました。

 その途中に日本にもお立ち寄りになられたのですが、そのときの宿泊先が帝国ホテル東京だったというのです。わたしはすぐに広報に連絡し、当社が発行している会報誌『IMPERIAL』のバックナンバーを調べさせました。すると、同年11月号の『IMPERIAL』に確かに新婚旅行時のお二人のお写真が掲載されていたのです。

「これはお二人にとって良い思い出になるはずだ」。そう考えたわたしは、お二人がご宿泊される予定の一番大きなお部屋「インペリアルスイート」にお二人が載っている『IMPERIAL』を置いておきました。そしてお二人が来られる当日、わたしはVIP専用の玄関でお二人をお迎えしました。

 お出迎えの際、「Welcome back, your majesties.(おかえりなさいませ、両陛下)」と申し上げると、ソフィア女王陛下が「Yes, yes, we stayed here 46 years ago.(ありがとう。わたしたちは46年前にここに泊ったことがあります)」とおっしゃった。ゾクゾクッときました(笑)。このときほど帝国ホテルに勤めていて良かったと思ったことはありません。

 お部屋までついていくことはできませんでしたから『IMPERIAL』のご感想を聞くことはできませんでしたが、きっと喜んでいただけたのではないかと思っています。その証拠に、お二人からは国王が立ち姿、女王陛下が椅子に座っているお写真をいただきました。その写真はずっとわたしの執務室に飾りました。こんな経験は普通のサラリーマンではできません。

Pick up注目の記事

Related関連記事

Ranking人気記事