2022-09-01

みずほ証券・浜本吉郎の「銀・証」一体戦略、この時期、米国との合算で増収増益確保

浜本吉郎・みずほ証券社長



「みずほ証券」という社名がなくなる?


「私自身、グループの証券会社で働いてきた経験が長いが、自分自身を『証券マン』だと思って活動してきていない。お客様に対しては『みずほ』でしかないし、社員にもそう言っている」と浜本氏。

 浜本氏は、2030年、2040年といったタイミングでは、銀行や証券といった垣根はなくなっているのではないかと見ている。何か、金融の力を使って顧客に寄り添う存在になっているのではないか? というのだ。

「お客様への理解を深めて、最適なソリューションを提供していくサポーター。今は金融だが、もしかしたら先々は変わっているかもしれない」

 eコマースの世界のように、金融業界もITプラットフォーマーが席巻している可能性も見据える。

「その頃には『みずほ証券』という名前ではなくなっているかもしれないし、社員にもいい社名を考えて欲しいと言っている。お客様のために何でもやる、何でもサポートするという意識でやっていく必要がある。『自分は証券だから』、『信託だから』といった意識では通用しない時代になるし、それではみずほはなくなってしまうという危機感を持つ必要がある」

 浜本氏は1967年1月神奈川県生まれ。90年慶應義塾大学経済学部卒業後、日本興業銀行(現・みずほ銀行)入行。

 当時、興銀は時価総額で世界一。そして中央官庁に勤めていた伯父から「金融業界には個性があって面白い先輩が多いぞ」と聞かされたことも志望動機になった。

 ただ、入行直後には、背中を押してくれた伯父から「時代は大きく変わる」と聞かされた。「直接金融」の重要性が高まる時代が近づきつつあったのだ。実際、浜本氏の入行後間もない93年、興銀は「興銀証券」を設立して証券業務に参入した。

 浜本氏は95年から米国のペンシルベニア大学ウォートン校に留学し、MBA(経営学修士)を取得。「ファイナンスは銀行が融資するだけでなく、大きなプレーヤーとして証券会社がいるということに気づいた」

 帰国後は希望して、設立間もない「社内ベンチャー」の興銀証券に出向。だが、最初は苦い経験も。米国で金融の最先端を学んできたと自信満々で臨んだが、数百億円、数千億円の取引が行き交うトレーディングフロアで学んできたことが全く通用しないという経験をした。「当初は上司や先輩にかなり厳しく鍛えられましたが、その方々は今も、私にとっては『人生の師』と呼べる存在」

 以来25年、マーケットの現場一筋で仕事をしてきた。その間、「4年に一度は何かしらの危機が起きた」というほど、国内外の様々な危機に直面してきたが、特に08年のリーマンショック後にはゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーといった米大手投資銀行が危機を受けて、銀行持ち株会社に転換するなど「米国でも商業銀行と投資銀行が一緒でなければ生き残れないということが実証された」。

「『挑戦者』として、大手証券に追いつけ追い越せと、『坂の上の雲』を追うように無我夢中で走り続けてきた。グローバルビジネスも大きくなり、大手証券の一角と呼んで頂けるまでになったが、バルジ・ブラケット(世界的投資銀行)とはまだ大きな差がある。これからも『挑戦者』として走り続ける」

 今、みずほFGは3メガバンク中3位の位置にある。システム障害などもあり、改めていかにライバルを追うかが重要な局面。その中で銀行と証券の連携がより一層重要になっている。その意味で、みずほ証券が果たすべき役割はますます重い。

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