2022-10-24

【 日中国交正常化50年】隣国・中国とどう向き合っていくべきか? 答える人:西原春夫・元早稲田大学総長

 ─ 自ら体験したからこそ、戦争の悲惨さを身に染みて知っており、戦争は絶対に避けなくてはならないと思うのですね。

 西原 ええ。私には6歳下の弟がいたのですが、彼は埼玉県のお寺に集団疎開しました。当時の話を聞いてみると、東京や浦和、大宮などが空襲を受けた夜など、南の空が真っ赤になっているのが見えたそうです。

 子供たちはみんなお寺の外に出て、黙ってじっと赤く染まった南の空を見ていたと言っていました。もう自分の親がどうなっているかも分からない。疎開児の悲しみや恐ろしさは言葉にできませんね。

 ─ 戦争体験があったからこそ根付いた考えはありますか。

 西原 先ほども申し上げましたが、戦争を経た愛国少年の心には、大人は結果として自分たちに真実を教えなかったという受け取り方をしました。ですから、大人は信用できないという感覚を持ちましたね。それから、みんなが正しいと思うことには必ずどこか疑わしいところがあると思わなければならないと。そんな観念ができましたね。

 その後、私は刑法学者の道を歩むことになったのですが、この観念は私の学者としての研究態度にも表れました。つまり、多くの学者が信ずる「通説」にも、どこか疑わしいところがあるはずなので、その点を注意しようということになったのです。これは私に終戦体験があったからでしょうね。現に私の刑法学は通説批判から形成されていきました。

 ─ 西原さんは1960年代、70年代にわたってドイツに留学しましたね。ドイツも日本と同じ敗戦国。ドイツの学者で西原さんと同じような考え方を持つ人はいたのですか。

 西原 いいえ、あまり感じませんでした。戦前、ドイツ人はみんながナチズムでした。そのナチスがひどいことをしたのだから、それだけ罪を償い、謝罪しなければいけないという意識は日本人よりはるかに深かったように思います。だからこそドイツは戦後、平和国家として生き返れたのです。

 ただドイツと日本の比較についてよく聞く話があります。「日本は『ドイツに比べて』謝罪が足りないので国際社会から認められていない」という指摘ですね。私も確かに反省が十分外に表れていないという面はあると思っています。「村山談話」や「河野談話」という形でしか出しておらず、何となく迫力がないなという感じはしています。

 ただそれをドイツとの比較で言われることには違和感があります。ナチスはユダヤ人大虐殺という、とてつもないことをしでかしました。第2次世界大戦を引き起こしたのもナチスですから、ドイツとしては目立つユダヤ人大虐殺を謝罪すれば、大戦そのものへの謝罪も済んでしまうという側面があります。

 本来であれば、ナチスのポーランド侵攻やロシア進軍、フランス侵入といった行動を生んだ「帝国主義自体」を反省して謝罪しなければならない。しかしそれには長い歴史などが絡むので、一概にやりにくい。これに反し、ユダヤ人大虐殺はナチス独特の価値観から出てきたもので、批判しやすい。

 ですからドイツの首相がやったのは、ことごとくユダヤ人大虐殺への謝罪なのです。しかしそれをやることによってドイツは第二次世界大戦全体についての謝罪が終わったとみられるようになった。

 ─ 日本に求められている謝罪の形とは一線を画しますね。

 西原 その通りです。日本軍も戦場における大規模殺人は犯しました。しかし、民族謀殺という性格を持つユダヤ人大虐殺のようなものはありませんでした。したがって、日本の場合は、戦争全体について謝罪したわけではないのに謝罪が済んだと思われるようなことがドイツに比べてなかったことは事実です。ドイツとは事情が違うのです。

 もちろん、ドイツが戦争全体に対する謝罪を十分していないから日本もしなくて良いと言っているわけでは全くありません。私個人としては不十分だと感じています。ただドイツと日本を比較した場合に、そういった指摘が出てくることには違和感があるということです。

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