2022-12-16

【自治体病院同士の合併】日本海総合病院・島貫隆夫病院長「病院経営が黒字になって新しい医療機器も買える。スタッフのやる気が一気に高まりました」

 ─ 看護師も減らさなかったのですか。

 島貫 看護師の場合は少し事情が違いました。実は統合・再編当初、県立病院に所属していた看護師は県に戻りたいという希望が多かったのです。

 ─ 県職員の身分を失いたくないと。

 島貫 ええ。それで3年ぐらいの猶予期間を設け、その間に最終的な決断をしてもらうという形になったのです。ですから、統合・再編してすぐに県に戻したわけではなく、猶予をもって戻りたい人は戻ればいいという形にしたのですが、実際に3年の猶予期間が経つと、7割以上が病院に残ったのです。

 ─ それは嬉しいですね。

 島貫 はい。病院にまつわる、いろいろな医療提供体制は割と良い方向に回り始めたわけですね。しかし、地域医療をどう守るかということは、また別の課題でした。当院が属する庄内二次医療圏は面積で言えば、神奈川県と同じ広さになります。人口は同県の33分の1です。

 ─ 総数で地域の人口はどれぐらいになりますか

 島貫 統合時は約30万人、現在は26万人超弱です。そういう中で、急性期病院が連携しながら様々な取り組みをしなくてはいけません。では、その連携する方法は何か。ちょうどそのときに電子カルテが始まりました。いわゆる病院での医療情報の電子化が進んできましたので、その医療情報の連携を進めようということで始めたのが「ちょうかいネット」でした。

 ─ どういうものですか。

 島貫 いわゆる地域医療情報ネットワークです。「ちょうかいネット」では、病院の医療情報を開業医だけでなく、薬剤師や介護施設、ケアマネージャーなどにも幅広く開示するものになります。今では開示病院の医師記録を全て開示しており、診療所の先生にも診療記録などを見てもらうことができるようになっています。

 ─ 便利なように思いますが、現場の医師の反応は?

 島貫 驚くことに特に大きな反対は起こりませんでした。統合・再編する1年前に旧県立病院では電子カルテを導入していたのです。私は「ちょうかいネット」は、ここからスタートしたと思っているんです。

 旧県立病院時代に電子カルテを導入するとき、私たちは仕様書を作って入札に向かいました。ところが当時の斎藤弘県知事から待ったがかかった。当時、県立病院は県内に5つあったものですから、「日本海病院だけが電子カルテを入れても意味がない」と。

 県立病院の標準化というか、プラットフォームを担うようなものでないといけないという指摘を受けたのです。そうすれば、ゆくゆくは全ての病院がつながるはずだというのが県知事の考え方でした。ですから、いったんは差し止めになりました。

 この意見を受けて山形県の県立5病院の標準化プランを作成し直し、それを提出しました。無事に許可を受けることができ、第1弾として日本海病院に電子カルテが導入されました。今でこそ様々な業界でプラットフォームという考え方が当たり前になっていますから当時の知事の先見性は素晴らしいものでした。

 ─ それが今も生きてると。

 島貫 そうですね。そこから我々は電子カルテを皮切りに、医療DXを広げていくことになりました。私自身も医療DXの醍醐味が少し分かったような気がしました。そして、日本海病院で電子カルテを導入した1年後に、酒田市立病院と統合・再編することになったわけです。

 ─ 旧酒田市立病院の医療DXはどう進めたのですか。

 島貫 まだ電子カルテは導入していませんでした。ただ、統合・再編のときに診療科の移動などがありました。その際にネットワークを敷いて端末を置けば、旧市立病院から旧県立病院に移ってくる診療科のドクターたちが患者様のサマリー(病歴や治療・看護等の情報)を入力することができますので、一気に旧市立病院にも電子カルテを共有することができたのです。

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