2022-12-20

野村不動産社長・松尾大作の「神は細部に宿る」精神 「新しい街づくりは小さなことの積み重ね」

松尾大作・野村不動産社長



次の成長へ、海外を開拓


 今、野村不動産は日本で培ったノウハウを海外で生かそうとしている。注力しているのはベトナム、フィリピン、タイという東南アジア諸国。社内では「アジアの成長を取りに行く」という号令がかかる。

「ローカルビジネスであり、国内と海外で基本は変わらない。そして共存共栄できるパートナーと密接な関係をつくること、そして投資ではなく、商品企画を重視して、付加価値をパートナーにも提供していく」

 特に重視するのが「KAIZEN活動」。例えば、これまでの東南アジアの企業が住宅開発などをする際には「雨漏り」など施工の不備や、工程管理が不十分で工期が遅れることが多かった。しかし、これらは日本企業からすると基本中の基本。

 その基本の徹底を長年続けたことで、物件の品質が向上。現地企業からも感謝され「KAIZEN活動」で手数料を得ることもできるようになっている。

 野村不動産は2031年度までに海外事業で約5500億円を投資資金として確保している。中でも現在進行中の中期経営計画ではベトナムの事業量が多く、ホーチミン、ハノイを中心に約2万5000戸の住宅開発を進め、すでに今期から収益貢献を始めている。

 一方、収益不動産事業、つまり投資事業では欧米をターゲットにしている。英国ロンドンではオフィスビルを取得。建築費高騰という逆風は吹くが、「出口は見えている」と話す。

 また、米国オレゴン州ポートランド市で再開発事業に参画。世界の不動産の大市場である米国で「橋頭堡」を築くという意味を持つ。こちらも金利上昇という逆風が吹くが「あまり神経質になっても事業はできない。事業の中でバッファを取りながらやっていく必要がある」。

 松尾氏は1964年10月鹿児島県生まれ。88年同志社大学経済学部卒業後、野村不動産入社。12年執行役員、15年常務執行役員、18年取締役兼専務執行役員、21年4月野村不動産社長就任という足取り。

 松尾氏が不動産業界を志望したのは、元々地理や歴史に興味があり、国内外の歴史書に記されている土地の開発などを読んで憧れを抱いていたことが大きかった。そこで進路を信託銀行か不動産デベロッパーに絞り、「就職活動でお会いした方々が魅力的だった」という野村不動産への入社を決めた。

 松尾氏は若手時代を「必死だった」と振り返る。88年入社の松尾氏はバブル経済崩壊の中、若手時代を過ごした。その厳しい環境下では「単にモノをつくれば売れるものではない」ということを痛感。

 特に松尾氏は「開発」の経験が長い。周囲には用地を買うことに徹する人が多かったが、松尾氏は、その土地にどんな価値のあるものが開発されるのかについても、継続して関わり続けていた。「不動産は残るもの。5年前、10年前に関わったマンションが地域で評判になっていたりするのを聞くことがやりがいにつながっていた」という。

 辛かったのはサブプライム危機、リーマンショックの時。当時、松尾氏は事業部長として大阪にいたが「何をやっても全くダメだった」と振り返る。

 物件が売れず、部下との関係もうまくいかなかった。「この時代の経験は自分にとって戒めになっており、転換期だった」。当時、開発に携わったマンションは今の中古価格の方が高く取引されているという。

 21年に社長に就任したが、世はコロナ禍。そこで様々なことを考える時間が取れた。「やはり最後は現場。日々仕事をしているみんなが何を感じているかが大事」という結論に至った。

 社長就任後に社内で所信表明を行ったが、そこで近代建築の3大巨匠の1人であるルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの「神は細部に宿る」という言葉を紹介した。

 デベロッパーは大規模開発などダイナミックなイメージが強いが、「細部にわたって地道に努力を積み重ねた結果。〝上〟から見ているだけでは世間の変容は捉えられない。日々の仕事を大事に続けること。これが原点」。

 財閥系と違い、土地という資産を持たない野村不動産だけに、社員1人ひとりが知恵を発揮することが、より求められる。松尾氏はその「人」を束ね、力を発揮させることができるか。

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