2023-08-26

ヤマトHD・長尾裕の新・物流戦略「経営資源の見直し、そして新領域開拓を!」

長尾裕・ヤマトホールディングス社長

人手不足、エネルギーコスト上昇などの資源制約下、いかに成長を図っていくか─。メール便などで日本郵政と提携を結んだヤマトホールディングス社長・長尾裕氏は、「いま経営で一番優先すべきは、いかに経営資源を有効に使うか」と語り、「コア(中核)とは言えない所に、経営資源を張り続けるべきではない」という判断を示す。同社の強みは何と言っても、宅配市場で4割強のシェアを誇る『宅急便』。メール便などの投函サービスは、それを得意とする日本郵政に委託することで、win-win(ウィン・ウィン)の提携関係を作って、“共存共栄”を確保。長年、“信書問題”で対立していた両社だが、今回の提携合意の背景には“2024年物流問題”で指摘される人手不足がある。同社の場合、ドライバーなどの人的資源(約21万人)と全国拠点(約3300カ所)の有効活用をどう図っていくかという課題。生き方・働き方改革とも重なる中、どう新しいサービス・新事業領域を開拓していくか─。


なぜ、日本郵政との提携に踏み切ったのか?


「やはり経営で一番優先すべきことは、いかに経営資源を有効に使うかというところだと思います。そう考えていくと、われわれもああいう投函の事業というのを、ある一定サイズはやっているわけですけれども、それが本当の得意領域かと言うと、そうでもないと」

 宅配便最大手、ヤマトホールディングスが日本郵政との間で、ヤマト運輸がメール便などの配達を日本郵政に全量委託することで提携することについて社長・長尾裕氏は〝経営資源の有効活用〟という観点で語る。

 同社の主力業務は宅配便(同社ブランドは『宅急便』)。全国でのシェアは約4割で年間約23億個を扱う。

 今回の日本郵政との提携で、メール便配達などを日本郵政子会社・日本郵便に委託。

 これに伴い、ヤマトは『クロネコDM便』の名称で展開するメール便サービスを来年1月で取り止め、日本郵便の『ゆうメール』を活用した『クロネコゆうメール』を新しく展開する計画。

 また、eコマース(ネット通販)利用客向けの小型薄型荷物の『ネコポス』のサービスも今年10月から2024年度末までに順次終了させ、日本郵便との共同事業に切り換えていく方針。

 これらメール便などの配達業務は日本郵便が行い、ヤマトは集荷業務のみを行う。ヤマトが利用者から集める荷物は、日本郵便の拠点に運び込み、仕分け・配達は日本郵便が手がける─という今回の提携内容である。

 ヤマトホールディングスの売上高(2023年3月期は1兆8006億円強)のうち、これらの投函事業関連は1300億円と全体の7.2%。

 コアの事業ではないと言っても、一定の売上はあげているわけだが、これについて、長尾氏は次のように語る。

「ですから、今現状やれないという話ではなくて、これから先の長い目線で考えて、では、このままずっと経営資源を張るのかという課題ですね。選択と集中で考えると、われわれのコア(中核)とは言えない所に経営資源を張り続けるべきではないのではないかと思っています」

 この日本郵政との業務提携が正式に発表されたのは6月19日のこと。実は、両者(ヤマト運輸と日本郵便)の間では、一部地域で、業務委託を2年前から試験的に取り組んできた。

 言わば、慣らし運転を行った上で、今回、本格提携に入ったということである。

 ヤマト運輸と日本郵便は荷物を運ぶということで言えば、ライバル関係にある。両社には、これまで『信書』問題で激しく対立してきた経緯がある。


信書で争ってきた経緯

 ヤマト運輸の『宅急便』は1976年(昭和51年)、個人から個人(CtoC)の間で小口の荷物を手軽に届けられるように設計された新しいサービスとして誕生。その便利さから、消費者に受け入れられ急成長した。

 そして消費者の要請に応える形で、1995年から〝投函サービス〟を開始し、1997年に〝クロネコメール便〟を発売。

 この発売後、行政(当時郵政省、現総務省)から、信書の取り扱いをめぐり、「郵政法に違反する疑いがある」といった指摘をされることになる。

 また、宅配便で荷物を送る際、送り主が〝添え状〟を入れてメッセージを送った場合も、日本郵政側は「信書に当たる」と主張。郵政法に違反すれば、配送業者も送り主も罰せられると指摘。

 これに対し、ヤマト側は、「信書の定義があいまいだ」として、信書の定義を明らかにするように訴え続けた。

 同社は1999年、信書の取り扱いをめぐり、「郵政省が独占禁止法に違反」として公正取引委員会に申告したが、根本的解決は図られないまま、今日に至っている。

 このような状況の中で、ヤマト側は、「弊社のお客様が、法律違反の認識がないまま信書を送ってしまい、郵便法違反容疑に問われるリスクを防ぐため」として、メール便の廃止を決めたという経緯がある。

 今回、両社の間で業務提携が成ったということに、産業界全体からは、「あの二社が……」と驚きに似た反応があったのは事実。

 社長の長尾氏自身も、約10年前の常務執行役員時代、信書問題を議論する政府の『規制改革会議』に担当役員として参加した経緯がある。

「規制改革会議の席でも、いろいろご提案申し上げましたけれども、ただ結局、この信書法(郵政法)って何も変わっていません」

 長尾氏は、信書の定義があいまいとして、次のように語る。

「信書法という法律自体があまり時代に合っているとも思えないですし、そもそも法律自体もどうやって守ればいいのかという課題ですね。運ぶ側からしてみると分かりにくいし、多分、利用者側としてもすごく分かりづらいだろうなと思います」

 この信書問題は未解決のままだが、長尾氏は「そうは言っても、日本郵便も民営化したわけですから、民同士としては(競争条件の)イコールフッティングの上で競争することが非常に大事な話になると考えています」と語る。

 今は、「経営資源をいかに有効に使うかが経営上で一番優先すべきことだと思います」という長尾氏の判断。


背景にある物流の人手不足問題

 長尾氏、そしてヤマト側の今回の判断を後押ししたのは、何と言っても、人手不足問題だ。

 人口減、少子化・高齢化という基本構造の中で、人手不足は全産業界に共通する課題だ。こと物流業界には、人手不足が深刻な問題としてのしかかる。

 2024年物流問題─。2024年4月から、トラックドライバーの時間外労働の上限を年間960時間とする罰則付き規制が始まる。

 運送会社は従業員の仕事を維持し、成長を期するとなると、ドライバーを増やさなければならない。

 賃金など待遇面での改善や、適正な運賃・料金設定など、その企業の針路が問われるということ。

 要は、人手不足の中で、経営資源をどう有効に使うかという今日的課題。

「そうですね。世の中自体のリソースにも限りがありますから、当社としては、箱(荷物)をどう運ぶかという所が一番のコアビジネスなので、そこに集中していこうと」という長尾氏である。

 長尾氏は1965年(昭和40年)8月31日生まれ。高崎経済大学経済学部卒。1988年(昭和63年)に入社。現場での営業経験もあり、宅配便(宅急便)を軸に、物流の進展、変革を体で感じ取ってきた。

 同社の社員数は約21万人。全国約3300カ所に集荷、配送拠点を構える。こうした人的資源や施設・不動産などの資産活性化をどう図っていくかという経営課題。これは、日本郵政にも同じことが言える。

 日本郵政は2006年、日本郵政公社の民営化に伴って発足。傘下には日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険の有力3社を抱える。人的資源で見れば、日本郵政は連結で20万8300人強。うち日本郵便は17万5950人を数える。上場会社のゆうちょ銀行約1万1740人、かんぽ生命保険1万910人強という構成。

 郵便・物流業務を担う日本郵便も全国に約2.4万の郵便局を抱える。ことに、地方にある局は人口減、少子化・高齢化の影響をモロに受けており、ヤマト運輸との連携には日本郵便側も前向きである。


それぞれの強みを発揮 弱みをどう補完するか

 ヤマト運輸―日本郵便提携の方向性について、長尾氏が語る。

「彼ら(日本郵便)は彼らで宅配の領域というのは、そんなに本業でもないわけです。日本郵便は二輪のネットワークが一番の強みなので、それより大きな箱(荷物)を運ぼうとすると、やはりいろいろと無理が出る。相互にいろいろ組める部分があると思います」

 両社とも、それぞれに強みを持ち、同時に弱みを抱える。それぞれの得意領域で強みを発揮し、弱い領域については提携で補おうという戦略。

 長尾氏が続ける。

「だから最初はわれわれの投函系のものをお願いするカタチになりますけど、この後、逆に彼らのサービスでわれわれがお受けしたほうがいいものがあるだろうなと思います。特にクール宅急便とかね。そういう系統では、われわれがやった方がいい領域もあるように思えます」

 ともあれ、今後の双方の対話と協議で、両社提携によるサービスの中身が決まる。「要は、世の中に対して、どれだけいいものをちゃんとご提供できるかに尽きます」ということである。


中興の祖・小倉昌男の挑戦・変革の生きざま

 ヤマトホールディングスの歴史は、『市場開拓』に向けての挑戦の歴史。

 創業者・小倉康臣氏が起業したのは1919年(大正8年)。日本にトラックが204台しかなかった時代。そのうちの4台を購入してのトラック輸送による創業であった。

 そして2代目の小倉昌男氏(1924―2005)が『宅急便』を開発するのは1976年(昭和51年)のこと。

 2度の石油ショックを経て、日本の産業構造、経済のあり方も変わろうとする時期。物流業界にあって、関東一円のトラック輸送に限界を感じていた2代目・小倉昌男氏は、『個人から個人へ』(CtoC)の荷物を届ける宅配便市場を創設。もちろん、〝法人から個人〟、〝個人から法人〟、〝法人から法人〟というサービスも宅配便に含まれる。

 しかし、それまでは〝法人から法人〟(BtoB)のトラック輸送を主軸にした物流業務であったので、ガラリと業態を変える『宅急便』創設は反響を呼んだ。

 長尾氏が入社したのは1988年(昭和63年)で、『宅急便』創設から12年後のこと。

 入社時点では、日本はまだバブル経済末期だったが、90年代初めにバブルが崩壊。それから10年以上、金融危機が続き、日本経済は大きく揺さぶられた。

 そうした世の中の変革期の中で、同社は〝個配の時代〟が来ると見て、『宅急便』開発に注力。

 これは物流業界に大きな変革を促すものだった。既存秩序派からは陰に陽に反発を受けた。この業界に飛び込んで35年が経つ長尾氏も、「今にして思えば、小倉昌男さんは、よくこんな仕事を創られたものだと思います」としみじみと語る。


危機感の中で誕生した『宅急便』

 経営の仕組みは時代と共に変化。経営をサステナブル(持続的)なものにしていくには、変革させていかなければならないという宿命にある。

 創業者・小倉康臣氏は新領域開拓精神の旺盛な人。

「創業10年後には、複数のお客様の荷物を積み合わせて運ぶ、いわゆる貸し切りではなく、乗り合いバスみたいな発想の仕事を始めた。創業者は相当にイノベーティブな人だと思うんです」

 百貨店「三越」の荷物配送を引き受けるなど、時代のニーズを先取りする精神。こうして関東一円に配送のネットワークを構築した。

 しかし、昭和の高度成長期に入ると、康臣氏が築いた配送インフラも〝危機〟を迎える。

 自分たちが手がける関東一円のネットワークだけでは、時代のニーズに対応できなくなり、全国規模でネットワークを築き始めた同業者との競争に次第に後れを取るようになった。

 東京―大阪間は、「鉄道貨物で運ぶべき」というのが康臣氏の考え方であった。

 しかし、世の中はどんどん変化し、関西から関東に、トラックで大量に荷を運び込む同業も現れ、大和運輸(当時の社名)は完全に時代の流れに乗り遅れた。


経営者としての覚悟

 1つの仕組みも、時が流れる中で色が落ち、輝きを失う。2代目の昌男氏は危機感の中で、事業変換に乗り出す。

「当時の経営資源はそんなに大きくなかったので、従来の仕事を止めて、みんなで宅急便をやろうという方向に走っていったということです」

 長尾氏はこう宅急便創設の決断を振り返りながら、「これは成功したからいいんですが、そうならない可能性もあった」という見方を示す。

 実際、この業態変換には社内にも〝反対〟の声もあり、周囲に違和感を奏でた。しかし、宅急便という個配、個の世界は新しい時代のニーズだという昌男氏の経営者としての直感力であり、決断力であった。

 自分たちの置かれた状況を直視し、突破口を開いていくには、これしかないという覚悟が当時の昌男氏にあったということ。

「経営陣にたいしてはすごく厳しかったという話を聞くんですけど、現場の社員に対しては絶対そんな感じではなかったと。今でも、長野の主管支店の応接室に、小倉昌男さんの色紙が飾ってあります。そこには、『まごころと思いやり』と書いてあるんです」と長尾氏。

『まごころと思いやり』─。それはいろいろな規制がある中、新しく宅配便を始めた時に、サービスの利用者(消費者)に文字通り〝まごころ〟を込めるという姿勢。

 何かと行政や政治と対立する時に、「消費者が味方してくれている」という思いが、小倉昌男氏の支えになっていたのではないだろうか。

「やはり経営していく中で、思いやりって、社員に対してもそうですし、社会に対しても、またお客様に対してもそうですしね。まごころというのは、言うのは簡単ですけれど、なかなかそれを実現するのは簡単ではないので、そういう言葉を現場で図っておられて、お書きになるのは、すごいことだとつくづく感じ入っています」

『宅急便』の開設(1976)から50年近くが経つ。自分たちの仕事は、社会に求められているのかどうか、消費者に受け入れられているかどうかを確認し続けていくことが大事ということ。


見守りサービスなど「仕事の進化を図る」

 時代の転換期にあって、同社は自分たちの仕事を、どう進化させていくのか?

 長尾氏は『人』をキーワードに、次のように述べる。

「われわれの場合、どこで働いているかというと現場です。やはり現場で働いてもらっているということ。その現場のオペレーションをどう良くしていくかというのはすごく大事。ただ、そうなると、すぐに機械化してという話になるんですが、実はわれわれの仕事は、全てを機械に置き換えるのは、そんなに簡単ではないんです」

 長尾氏はこう語り、「今、全国の営業所の配置、そして建物の大きさ、規模をどうしていくかと、もう一度、再設計しているところです」と説明する。

 現在、同社が全国に構える拠点は約3300カ所。この拠点数も未来永劫このままでというわけにはいかない。

 人口減の中で、過疎化と共に東京一極集中が進む状況で、地方の拠点を減らすことになると思われがちだが、「そんな事は考えていなくて、むしろ都会のほうが結構いろいろと課題があるんです」と長尾氏は語る。

 例えば、東京都内では小規模営業店を集約して、大規模化し、もっと多くの集配の車を収容できるようにする。都心などでは、ビルインの台車で配送しているが、これも大変な手間がかかる。こうした現状の改革だ。

「そうやって新しく出す店では、その地域によりますが、太陽光パネルを張ったり、再生可能由来の電力を引き込んだりして、環境対策も同時にできるようにしていきたい」

 長尾氏は、この新しい計画図の下、向こう3、4年かけて改革を進めていきたいとする。

 地域と共に生きるというミッション(使命)の下、時代の変化に合わせて、さらに地域のニーズを掘り起こそうと設置したのが『地域共創部』である。

 例えば、高齢者宅の〝見守りサービス〟である。

「品物をお届けするということは、置き配もありますけれど、われわれは必ずお家まで行きますからね。お顔を見る機会がすごくありますから、そこで当社の社員がちゃんとお顔合わせをさせていただいて、どう感じるかとか、どう会話をするかというのも、ひょっとすると価値になるかもしれない」

 65歳以上の人口が全体の約30%という超高齢社会の日本。今後、福祉・介護関連サービスへのニーズは高まる一方だ。その時に、自分たちが全国に張りめぐらす拠点網を活かせないかということ。「ちゃんと眠れていますか」、「ああ、大丈夫」といった会話が交わせるサービスだ。

 そうした発想で、『ネコサポステーション』をすでに開設した。東京・多摩ニュータウンを皮切りに、松戸(千葉)、藤沢(神奈川)、さらには仙台、福山(広島)などでも、同ステーションが機能し始めている。

「何でも屋みたいになっていますけど、地域から、こんな事をやってくれないかという要望を受けています」

 自治体からも、「ぜひ、うちにも開設して」という要望がある。

「多様な人たちと一緒に商売をつくっていくというのが、本来、うちの強みだと思っています」

 伸びている人は? という質問に、「自分なりに考え、自分で興味を持って調べ、自分でアクションをする人ですね」と長尾氏は答える。

 取締役陣も多彩だ。オペレーション担当はアマゾンジャパンの出身、法人営業のトップは楽天物流社長の経験者、財務関係はメリルリンチの役員経験者、さらに人事担当はブリヂストン出身といったように、〝プロフェッショナル〟で構成。

 そうしたダイバーシティ(多様)の能力を各自に発揮してもらいながら、それを1つにまとめるのは『まごころと思いやり』の精神という長尾氏の経営観である。

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