2023-06-20

【日本での創業から75年】ロッテホールディングス社長・玉塚元一の「日韓連携で新しい成長を!」

玉塚元一・ロッテホールディングス社長

日韓両国に経営基盤を持つロッテグループ。創業者・重光武雄氏(2020年、98歳で逝去)が1948年(昭和23年)、日本でガム事業を興したのが始まり。以来75年が経つ。この間、“日本ロッテ”は菓子一本槍であったのに対し、“韓国ロッテ”は食品はもとより、流通、ホテル、化学から最先端のバイオ医薬品製造、電子部品製造などを手がけて成長。“日本ロッテ”の売上高約3000億円に対し、“韓国ロッテ”のそれは約8兆円規模にまで拡大。「グループ全体でどういう成長戦略を描くかという視点がすごく重要になってきた」とロッテホールディングス社長・玉塚元一氏は語り、日韓連携で日本市場の掘り起こしはもとより、アジアを含むグローバル市場での成長を追求したいとする。日本の“失われた30年”というテーマとも重なる経営課題で、玉塚氏は、「日本と韓国の壁を取り払って、韓国の幹部ともいろいろ対話をしながら、実行していくことが大事だと思います」と語る。日韓連携のあり方とは─。

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日韓での〝成長の差〟はなぜ、生まれたのか?

「ロッテのブランドに対する信頼感とか、そこで働いている人材を見ても、非常に手前味噌だけど、優秀な人材も多いし、やはりポテンシャルはすごくあると思います」─。

 玉塚元一氏がロッテホールディングス社長に就任したのは2021年6月のこと。この2年間ロッテグループの仕事をして、ロッテの〝実力〟や〝力量〟をどう思うか? という質問に、玉塚氏は「ポテンシャルのある会社」と即答。

 ロッテグループは、戦後すぐ、日本で祖業のガム事業から出発。チョコレート、アイスクリーム、菓子類と菓子業界の最大手に成長。そして、創業者・重光武雄氏は出身国・韓国に1960年代後半から投資を開始。事業領域は食品、流通、ホテルからバイオ医薬品など、多岐にわたり、成長に次ぐ成長を遂げ、今や韓国の『五大財閥』の一角を占めるほどになった。

 重光氏は3年前(2020年10月)、98歳の人生を閉じた。戦前の1941年(昭和16年)、18歳で来日し、苦学力行の末、戦後間もなく起業。文字通り、裸一貫からスタートし今日のロッテグループをつくり上げた。

 重光氏の跡を受け継いだのは、次男の重光昭夫氏(1955年=昭和30年2月生まれ)。ロッテホールディングス会長を務め、韓国ロッテグループ会長として全体の采配を振るう。

 その重光昭夫氏からスカウトされ、玉塚氏がロッテホールディングス社長に就任して2年が経つという今日の時点である。

 日韓両国に経営の拠点・基盤を持つロッテグループだが、それぞれの年間売上規模はどうか?

〝日本ロッテ〟(ロッテホールディングス)は約3000億円。〝韓国ロッテ〟(韓国ロッテグループ)は日本円にして約8兆円。両者には大変な差、開きがある。同グループが誕生したのは日本である。発祥の地・日本の売上は今や、韓国ロッテの4%弱でしかないという現実。

 なぜ、これほどの差が生じたのか?

「1990年(平成2年)売上規模は日韓で一緒だったんですね。両者とも、ほとんど3000億円位で並んでいた。ところが、日本はこの1990年から伸びていない。現場はみんな努力をしているんですよ。だけど、結果として、日本はほとんど成長していないんです。でも、韓国はダイナミックに8兆円まで成長しているわけですよね。日本はこの時期、ちょうど〝失われた30年〟とみんな言うじゃないですか。ロッテも一緒です」

 日本は1990年代初め。バブル経済がはじけて以降の30年余年、デフレ経済になり、賃金も上がらず、物価も低迷。〝茹でガエル〟と呼ばれる状況が続いた。何とかしなければならないという認識が生まれ、今年あたりから、賃金引上げなどへの努力が産業界全体で続く。

 ロッテグループ内でも、この30年余で、韓国ロッテはダイナミックに成長を遂げているのに対し、日本ロッテは成長が止まったままという現状を何とか克服したいという考えが強まる。

 玉塚氏は「いろいろな理由があって、(日本ロッテは)成長してこなかった。これを成長させるように、もう一度モメンタム(流れ、勢い)を変えないといけない」と語る。

 ロッテグループは日韓両国に経営基盤を持つのが強みであるが、それほど交流が進まなかったという現実がある。

本誌主幹 村田博文

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