2022-08-23

【東宝・松岡宏泰新社長が登場】演劇・映画・不動産に次ぐ「第4の柱」にアニメ事業を据えた理由とは?

東宝・松岡宏泰社長



小林一三の精神とは?

 ─ 今後に期待が持てますね。さて、改めて松岡さんの曽祖父でもある創業者・小林一三の精神をどう解釈していますか。

 松岡 お会いしたことがないので本でしか読んだことがないのですが(笑)、小林一三は阪急電鉄をはじめ、阪急百貨店や宝塚歌劇団、そして東宝を興しました。共通していることは、やはり大衆に対しての視点、顧客の方たちにどうサービスを提供できるのかを非常に合理的に考えられたのではないかと思うのです。

 ですから、我々もその気持ちを忘れずにいれば、常に顧客のことを考えているから作品をヒットに近づけられるのでしょうし、できるだけ多くの方に観ていただくために、映画館の設備や場所なども最適に考えていけるのだと思うのです。おそらく小林一三も90年前に1人で考えて実行したのでしょうね。

 最初にこれらの様々な事業を始めたとき、小林一三は阪急沿線をいかに素晴らしいエリアにして、いかに沿線沿いの方たちの日々をサポートして幸せになっていただくかを考えていたのではないかと思うのです。東宝はそのための1つのピースだったのではないかなと。

 ─ 全ての事業が共通している要素ですね。

 松岡 はい。たまたま我々は映画業界ということになりますから、全国に映画館などを展開することができました。ただ、気持ちとしては大衆の皆様に健全な娯楽を提供して幸せになっていただくという理念を忘れてはいけませんし、それを最初に提唱した小林一三が非常に理念の高い素晴らしい人だったと。

 ─ このときから顧客志向を持っていたと言えますね。話はかわって松岡さんは米国留学もしていますが、このときの経験で良かったことはどんなことですか。

 松岡 私は大学卒業後、米国留学をし、1989年にペンシルベニア州のオルブライト大学で学び、大学院に進学しました。大学院卒業後、ICMという会社で研修員を経験したのです。メールボーイや電話番が主な仕事でした。米国には通算で5年ほどいました。

 もし日本にずっといたとすると、おそらく私は非常に凝り固まった思想で狭い視野の人間だったのではないかなと思います。米国での生活を過ごしたことで、全く違う考え方の人や全く違うやり方があるということを知りました。そのことは私に一番大きな影響を与えたと思います。

 その後、私は「東宝東和」という会社に入って外国映画の輸入配給を担当したのですが、今までと違うやり方で作品を獲得していこうと模索し、最終的には「ユニバーサル・ピクチャーズ」と「パラマウント・ピクチャーズ」という海外の大手映画会社の作品をお預かりする立場になるまでに漕ぎつけました。

 その過程では山ほど失敗もしましたけれども、いろいろなチャレンジをさせてもらうことができたという点では、そういう場を提供してくれた東宝グループに感謝しているところです。

Pick up注目の記事

Related関連記事

Ranking人気記事