2022-10-19

【母の教え】園田崇史・ウフル社長「『相手の人の話を最後まで聞きなさい』という母の言葉が、今の私の礎になっている」

ウフル社長 園田 崇史

テクノロジーを活用して、世の中の「無理・無駄」をなくすための事業を展開する、ウフル社長の園田崇史さん。その園田さんの母・智子さんは当時は数少なかった医師として働き、父・勝男さんとともに医院を開業。忙しく働く両親の下、園田さんは自由奔放に育った。ただ、大学時代に結婚を決めた園田さんの決断を後押しはしたものの、「1つだけ言っておきたいことがある」として呼び出し。そこで告げられた言葉とは─。

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医師として働く母の姿を見て…


 私の母・智子は1944年(昭和19年)9月に福岡県久留米市で生まれました。母の実家は薬局を営んでおり、小さい頃から医学、薬が身近にある環境で育ちました。

 特に中学生、高校生の時には学校でも「優等生」と評価されていたそうです。高校は福岡県立明善高校を卒業していますが、卒業式で総代として答辞を読んだと聞いています。

 大学は鹿児島大学医学部に進学し、医師となりましたが、当時はまだ女性の医師が少なく、いろいろな意味で苦労をしたそうです。父の勝男とは、大学の同級生として出会い、卒業と同時に結婚しました。

 その後、両親は鹿児島県鹿屋市で医院を開業します。当初は勤務医として働くことを意識しており、開業はそこまで考えていなかったようですが、自分達で自立してやっていきたいという思いが芽生えたのだと思います。

 私は1973年(昭和48年)3月、次男として鹿児島市で生まれ、父の転勤に伴い4歳のときに鹿屋市に引っ越しました。子供の頃の記憶としては、医師として忙しく働く両親の姿です。

 2人とも診療に明け暮れていましたから、細かいことで「ああしなさい、こうしなさい」と言われることはありませんでした。ですから文字通り「自由奔放」に育ったという感じです。

 ただ、行動に移すまでは慎重派です。小学生の時から毎日欠かさず新聞を読んでいましたし、それ以外に本を読んだりして、まず情報を収集していました。その後の行動の思い切りがよくて、周囲を驚かせることはよくありました。これは今も変わりません。

 兄は両親の姿を見て医師の道を選び、今は実家の病院を手伝っています。一方私は、ごく幼少期から医師ではなく、もっと自由に、違う世界を見てみたいという思いを強く持っていました。親の接し方が違ったというよりは生来、兄には長男らしいところがあり、私には次男らしいところがあったということなのだと思います(笑)。

 原体験は幼稚園の時です。カトリック系の幼稚園に通ったのですが、この時に出会ったイタリア人やスペイン人の神父さん達は、まさに世界を飛び回っており、そこでいろいろな話を聞かせていただきました。私にとって憧れの存在でした。

 高校は地元の進学校であるラ・サール高校に進みました。この高校のいいところは、地元の人間、関東や関西から来た人間がうまくミックスされて、様々なカルチャーが融合されていたことです。

 多様な人材が集まる中、「自分はどう考えるか」という意思を、皆が持っていました。自分と異なる意見、異なるバックグラウンドを持つ人達と接しながら、自分の価値観をブラッシュアップすることができ、非常に濃密な、いい時間を過ごさせてもらったと感じています。

 同級生にも個性豊かな人間が多く、様々な分野で活躍していますが、今も仲良くさせてもらっています。

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