2023-06-20

【日本での創業から75年】ロッテホールディングス社長・玉塚元一の「日韓連携で新しい成長を!」

玉塚元一・ロッテホールディングス社長



「文化」や消費財領域の交流はすでに活発

 日韓両国の交流は歴史的にも紆余曲折をたどってきた。1900年代初め、欧米列強によるアジア進出とその支配が進む中、日本は1910年(明治43年)、『日韓併合』を実行。その体制は日本の敗戦(1945年=昭和20年)まで続いた。

 戦後しばらく、日韓両国に交流はなく、両国の国交正常化が成るのは1965年(昭和40年)。終戦から実に20年後のことであった。

 その国交正常化から、58年が経つ。この間も〝従軍慰安婦問題〟などがあり、政治的には微妙な関係が続く。しかし、一方で国民レベル、経済領域では交流が広がっていたのも事実。

 2022年5月、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領体制になってからは、政治的にも友好気運が高まりつつある。

 基本的に、両国間の交流拡大は両国にとってはもちろんのこと、アジアさらには世界全体にもプラスの影響のほうが大きい。

 今後、どう交流を進めていくべきか?

「僕は思うんだけど、結局、文化レベルですね」と玉塚氏。日本のアニメ『鬼滅の刃』などが韓国でも大変な人気を呼び、逆に韓国の映画やドラマなどエンターテインメントが日本で受けていることを玉塚氏は挙げながら、「文化レベルでは交流は進み、若い世代の間では互いに違和感とかはほとんどありません」と話す。

 さらに玉塚氏が続ける。

「あとはコンシューマープロダクトですね。化粧品だとか、Kフードだとか、ユニクロなどコンシューマーに近い所のプロダクトラインも僕は問題ないと思います」

 玉塚氏はこう現状認識を示しつつ、「あとはBtoB(企業間取引)の戦略的な素材とか、半導体とか、この辺りの領域でどんな取り組みができるか。おっしゃる通り、政治領域で尹大統領のリーダーシップで今、急速に流れが変わっています。このことの影響はめちゃくちゃ大きいですね」と語る(インタビュー欄参照)。


創業者・重光武雄氏の開拓者精神に則って

 この2年間、ロッテホールディングスの社長を務めて感じたことは何か?

「やはり韓国の方々の意思決定のスピード感とか、仕事の進め方ですね。ものすごくトップダウン型で一気に進めていくとかだったり、日本はどちらかというと、コンセンサスベース(合意形成型)のスピード感だし、すごく慎重ですよね」

 日韓両国はそれぞれ強さと弱みを持つ。いかに強さを発揮し、弱みや課題を克服していくかということだが、日本側はなぜ、〝失われた30年〟になったのかという考察が必要である。

 そして、ロッテグループの場合、何と言っても、創業者・重光武雄氏の存在とリーダーとしての牽引力である。

 重光氏は先述のように1922年(大正11年)、韓国・慶尚南道の生まれ(韓国名は辛格浩)。18歳の時に来日。新聞配達や店員をして、早稲田高等工学校(早稲田大学系列、学制改革で戦後に廃校)を苦学の末に卒業。起業家精神が旺盛で、1948年(昭和23年)、手作りでガム事業を始めるが、これが大当たり。

 青春時代の苦労には、われわれの想像を絶するものがあったであろう。耐え忍ぶべきは耐え、自らの夢や希望の実現に向けて、ひたすら努力していくという印象を筆者は覚えた。

 ガム事業は当時、ハリスガムなど先発大手がいたが、商品開発に熱心な重光氏は激しい競争下を勝ち抜いていく。

 若い頃、苦難の道を歩き、ひたむきに生きた重光氏は、もともと文学好きで、『夢とロマン』の持ち主であった。

 ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』のヒロイン、シャルロッテからロッテをとり、社名にしたのである。

〝お口の恋人〟のキャッチフレーズ。また、チョコレート事業に参入するや、原料輸入国のガーナの名を付けた〝ガーナチョコ〟など、顧客層に斬新なイメージを植え付けていった。

 こうして、重光氏はガムから出発し、チョコレート、アイスクリーム、菓子・スナック類と事業を拡げていく。森永製菓、明治製菓といった戦前からの老舗、有力企業を相手に果敢に戦いを繰り広げ、菓子大手の地位を獲得。

 その重光氏が出身国・韓国で事業を始めたのは日韓国交正常化(1965)が成ってからの事。1967年(昭和42年)、韓国にロッテ製菓を設立。1979年(昭和54年)には、首都・ソウルの中心部にロッテショッピングやロッテホテルをつくり、首都の近代化にも貢献した。

 韓国は1970年代後半から1980年代にかけ、近代化、工業化を推進。『漢江の奇跡』と言われる成長路線を走っていく。

 そうした中、重光氏は食品、流通、ホテル・観光業だけでなく、金融、さらにはケミカル(化学)といった製造業など、異業種にも積極果敢に進出。当時、日本の三井グループから同社の韓国での石油化学部門を買収(麗水石油化学、当時)するなど、大いに話題を呼んだ。

 その頃、重光氏を取材すると、「韓国はいろいろな仕事が開拓できて面白い。日本は各業種とも既存企業が根を張っているからね」という言葉が返ってきたものである。


グループ総帥は重光武雄氏から次男・昭夫氏へ

 その重光氏は3年前98歳で逝去。その跡は次男の昭夫氏にバトンタッチされた。重光昭夫氏はアクティブな精神の持ち主との評。日本のロッテホールディングスと韓国ロッテグループの両会長を務め、グローバル展開にも注力。

 そうした流れの中で、ロッテホールディングス社長に玉塚氏が就き、今、日韓連携で新たな成長を探ろうとしている。

 しかし、日本の現状は物足りないというのは関係者の一致した見方。日本はもっと踏ん張らなければということと同時に、韓国には韓国で課題がある。

本誌主幹 村田博文

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