2023-07-10

第一生命新社長・隅野俊亮の「新・生保戦略」「投資初心者に寄り添うコンサルを」

隅野俊亮・第一生命保険社長




株式会社化、巨額買収をバックグラウンドに

 ただ、取り巻く環境は不透明だ。株価は高いが、米国のインフレと、それを受けた急激な金融引き締めは、中堅金融機関の破綻を招くなど、予断を許さない状況が続く。

 日本では、日本銀行総裁に植田和男氏が就く新体制がスタート。足元では金融緩和を継続するなど、政策変更をしていないが、どこかで「正常化」への道を歩み始めると見られている。

「我々としては、緩やかなインフレ、金利上昇はビジネス上、圧倒的にポジティブ。その実現は願ってやまない。逆に、急激に金利が上がるとマクロ経済、我々のバランスシートにも影響を及ぼすため、新総裁の下での日銀の政策には注目している」と話す。

 金利については、その変化を逐次モニターし、必要なヘッジポジションを持っている他、例えば米中堅地銀のような企業の破綻に関しても、「クレジットリスクのコントロールができている。100%ではないが、今のところ何ら影響を受けていない」と備えを強調。

 また、コロナ禍では多くの給付金を支払った。「みなし入院」も対象としたことで、昨年度の支払い額は約1000億円。この影響などもあり、23年3月期の純利益は前期比53%減の1923億円という厳しい決算。

 しかし隅野氏は「胸を張って誇りに思おうと社内には伝えている。生命保険会社として果たすべき役割を全うしたと思っている」と話す。

 ある意味でコロナ禍は災害と同様、人々に生命保険の重要性を再認識させる機会になったと言える。ここで築いた顧客との接点を生かし、今後改めて保険の重要性を訴求し続けることができるかが問われる。

「この2年間は第一生命の社員全員にとって、歴史的にも厳しい時期だったが、チーム一丸となって活気を取り戻し、前に走っていきたい」

 隅野氏は1969年10月千葉県生まれ。92年東京大学法学部卒業後、第一生命入社。21年第一生命ホールディングス取締役常務執行役員、22年4月第一生命常務執行役員、23年4月に第一生命社長就任。

 千葉県流山市に生まれたが、父親の仕事の関係で幼少期にイギリスに住んでいた。そこでは周囲の子供が皆、サッカーに取り組んでいたこともあり自然と始めたが、中学、高校、大学、さらには社会人になって現在に至るまで続けている。

 これまでに厳しかった経験として、2010年の「株式会社化」を挙げる。水面下で検討を開始した当初から関わり、計画全体をゼロから設計した他、上場準備や資本政策などに、現会長の稲垣精二氏とともに携わった。

 当時は08年に「リーマンショック」が起きたこともあり、「我々の財務も相当傷んだ」(隅野氏)。その中で、上場するのか、しないのか、上場するとしてもどんな財務的な手当をして実現するのかなどに知恵を絞り、劣後ローンによる資金調達などを実行。無事に上場を果たし「本当に寝る暇もなく走り切った」と振り返る。

 もう一つのバックグラウンドとして、14年の米保険会社・プロテクティブライフの買収を挙げる。当時約5800億円という巨費を投じたが、隅野氏は検討初期段階から関与。

 この買収は、日本ではほぼ事例のない、増資を伴うM&A(企業の合併・買収)だった。引受証券会社と激論を交わしながら、M&Aを実現。今やプロテクティブは、同社を通じたM&Aの実行など、第一生命グループにとって海外における重要企業となっている。

 23年4月のトップ交代では、持ち株会社である第一生命HD社長に菊田徹也氏が就くなど、持ち株会社と事業会社の社長の役割が分離された。それだけ、第一生命グループの事業ウイングが広がっているということの表れでもある。

 隅野氏は自身の役割を「お客様のところに足を運んで声を聞く、あるいは営業現場の悩みや期待を吸い上げて経営に生かしていく。それを愚直に実行していくこと」と話す。

 この2、3年のマイナス状況から反転し、人口減少の厳しい日本市場での競争を生き残ることができるか。現場との対話が、そのカギを握っている。生保の存在意義は何かを追求し続ける日々だ。

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