2023-09-20

マルハニチロ社長・池見 賢の「環境が激変、経営を変えないことのリスクが大きい時代」

池見賢・マルハニチロ社長



経営の持続化をどう図っていくか

 マルハニチロは前述の通り、創業(1880)から143年の歴史を持つ。この間、同社は新領域の開拓を手掛け、総合食品会社として事業を深化、拡大発展させてきた。

「はい、われわれは全部魚ではありませんし、畜産も農業もやっている。スーパーのお総菜売り場での商品提供もやっています。そういう中で、なかなか魚が入らないという悩みですよね。まず、魚の値段が高いこともその一つです」

 チキン(鶏肉)など肉類と比べても、魚は高いなあというのが庶民の感覚。

「ええ、(値段が)高くないと魚は買えなくなっていますね。かつては、日本は世界の魚の値段を決めていましたが、もうとっくの昔にそうではなくなりましたから」と池見氏。

 水産資源の奪い合いが世界的に激しくなってきたということ。日本の魚の『買い負け』という言葉が登場したのは2003年(平成15年)の『水産白書』。

 日本の『買い負け』が出てきた背景には、中国の台頭、それから欧米の〝食の変化〟がある。

 当時、中国は沿岸部でしか水産物を食べなかったのが、内陸部でも食するようになった。

 また、アメリカ、それにヨーロッパ・南欧で水産物の消費が増え始めた。「昔、デビルフィッシュ(悪魔の魚)とか言って忌み嫌っていたのが、今は喜んでタコを食べます」と池見氏。

 特に、中国の水産物消費の急増である。1970年代、1人平均の摂取量は4キロであったのが、今は40キロに増加。日本の数値(45キロ)に迫りつつある。人口約14億人の市場(国)が水産物の領域でも存在感を高める。

 こういう環境激変下にあって、サステナブル(持続的な)経営をどう心がけていくのか。

 水産物の資源管理は近年、世界各国が力を入れている。その中で、どう水産物を確保するか。業界用語で言えば、資源アクセス権をどう獲得するかという話だ。

 同社は近年、北米アラスカでのスケソウダラ資源に大型投資を行い、全体の漁獲枠の約27%まで扱える権利を獲得した。

「資源管理をした後に、こうした権利(資源アクセス権)を獲得することは、われわれにマーケットの選択権ができますし、経営もサステナブルになっていきます」

 後は、獲得した水産物をどう消費者に受け入れてもらうかという課題。日本人の魚摂取量は減少しつつあり、経営面でそれをカバーするには、現実的に海外市場を意識せざるを得ない。

「今、全売り上げの25%位は海外市場になっています。海外が伸びたのが大きくて、年間売上高も今まで達成できなかった1兆円を超えたと」(2023年3月期、営業利益は295億円強)。

 池見氏は海外市場について、こう期待しながらも、「ただ今後、欧米の経済が失速すると、われわれにも影響が出てくるのかなと」と緊張感をもって臨んでいくと語る。

 国内市場では、高齢化に対応して、加工食品の領域で介護食の開拓を進める。


先人たちの思いを胸に次の手をどう打つ?

 では、今後、どう生き抜くか?

「一生懸命に言っているのは、変えないことのリスク。変えるのは大変だけど、変えないことのリスクのほうが大きいと思います。これだけ世の中が変わっている時ですからね」

 池見氏は、こう言い続ける自分について、「わたしは外国人だと思われているんじゃないですか」と冗談めかしつつ、変化していくことの大切さを訴える。

 グローバルに物事を見て、海外の現場に長く身を置いて働いてきた今、感じることは何か?

「何かもう手前味噌では、何もできないと。昔は日本流にドンと行って仕事ができていましたが、今はそんな事はできない。その国の人のほうが優秀で、下手したら、負かされてしまいますからね」

 振り返れば、1981年(昭和56年)に入社して間もなく、ソロモン諸島勤務になった。人口68万人強(現在)の島しょ国。同社はガダルカナル島に拠点を置き、現地法人・ソロモン大洋のオフィスは首都ホニアラにあったが、近くのジャングルを切り拓いてカツオ節工場、缶詰工場を操業してきた。

 ガダルカナル島と言えば、先の大戦の激戦地。米軍中心の連合軍の攻撃を受けて、日本軍はほぼ全滅。戦死者約3万人という犠牲が出た場所。さらに北西部には、山本五十六大将(当時、連合艦隊司令長官)が敵機の襲撃を受けて戦死したブーゲンビル島がある。

「毎年、日本から遺骨収集団がやって来られ、遺骨を探していかれる。うち(現地法人)の社長室は遺骨がたくさん置かれていました」

 現地の船員は約100人。現地で働く日本人は7、8人で池見氏は「一番下っ端でした」という。

 ソロモン諸島勤務は2回に分けて、都合7年に及ぶ。そして、タイ・バンコクでの9年を合わせて、計16年の海外勤務。

 世界情勢の変化もあって、ソロモン諸島からは2000年に撤退したが、16年に渡る海外勤務は池見氏の〝水産人生〟の原点だ。海外での現場体験を踏まえて、「今はもう感謝の一言ですね。自分から海外を希望して、この会社に入ったんですからね」と述懐する。

 水産資源の枯渇という現実の中で、世界全体では水産物への需要は増加。資源管理力を高めながら、世界の需要増にどう応えていくか。それは、水産資源と共に生きてきた日本の食料安全保障構築にもつながる課題だ。

〝サカナクロス〟─。魚と他の食品の掛け合わせをして、魚の価値向上を図っていこうと池見氏はグループ全体に呼びかける。総合食品会社として、自分たちの潜在力を掘り起こしていく考えだ。

 異常気象・気象変動の中でのマルハニチロの挑戦である。

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