2022-10-28

「2020東京五輪」をどう総括するか?武藤敏郎・元組織委員会事務総長を直撃!

武藤敏郎・東京五輪・パラリンピック組織委員会事務総長



開催都市が財政難に陥る


 ─ 世界でも例がない金額になったわけですね。

 武藤 ええ。次のパリやその次のロスでもスポンサー料を集めることになるのでしょう。アメリカは経済力が日本よりも大きいですから、アメリカの場合にはスポンサー料を更新するかもしれませんが、今まででは東京が最高です。この結果、組織委員会は原則として税金を使わなくて済んでいるわけです。

 税金を使えば使ったで、また「なぜそんなことに税金を使うんだ」ということになるので、基本的にはスポンサー料の徴収は良いことなのです。ただ、商業主義というのでしょうか、オリンピックが商業化したという批判があるのも事実です。

 ─ 1980年から2001年にかけてIOC会長を務めたサマランチ氏が進めましたね。

 武藤 実はこの話には非常に深い事情がありました。1976年のカナダ・モントリオールオリンピックで、モントリオール市が当初想定した費用を大幅に上回ってしまった。やり方を失敗したのです。そして、その年に市は組織委員会の財政赤字を埋められなくなってしまいました。そこでどうしたかというと増税です。

 増税額はほんの僅かだったのですが、それで10年以上かけて、その赤字をずっと埋め続けたという財政的な大失敗が起こったのです。そのときに、サマランチ氏は「こんなことが再び起こると、オリンピックはもう続けられない」と危機感を抱いた。

 次の開催場所は1980年のソ連(当時)のモスクワと決まっていました。当時、モスクワはとにかく国をあげてお金を投じていくと。共産圏のことですから、これは何とかなると予想されていました。その次の1984年の開催地の決定が1977年で、ちょうど7年前に決まる。そこで1984年の開催地を決めようとしたら、当初どこも手を挙げなかったのです。

 それでIOCもいろいろと動いたのですが、そこで手を挙げたのがロサンゼルスだったのです。ロサンゼルスにとっては2度目になります。ロサンゼルスも覚悟を決めて手を挙げたということになります。サマランチ氏にとっても、誰も引き受け手がなくなって、オリンピックができなくなるのではないかというときに救われた形になります。

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